大判例

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松江地方裁判所 昭和51年(ワ)102号 判決

原告

林アツ子

右訴訟代理人

太田宗男

葉山水樹

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

被告指定代理人

原伸太郎

外五名

主文

(一)  原告が、林樹佑の死亡につき国家公務員災害補償法による遺族補償年金を受ける権利を有することを確認する。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一災害の発生

樹佑は、郵政事務官として八雲郵便局に勤務し、郵便貯金・簡易保険の募集・集金業務を担当していた国家公務員であつたが、昭和五〇年六月五日から本件旅行会の旅行に参加し、同月八日午前一時三〇分頃旅行先の宮崎観光ホテルにおいて死亡した。

右事実は当事者間に争いがない。

二災害の公務起因性

(一)  貯金・保険募集業務の実状

〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、以下の認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  郵政省は、毎年九月の新年度開始に際し郵政局を通して各郵便局に対し、当該郵便局管内の人口、世帯数、配置人員の状況等によつて貯金及び保険の目標額を設定し(募集目標額の設定が当該郵便局管内の人口、世帯数、配置人員の状況等によることを除き、当事者間に争いがない。)、その達成を要求している。これを受けて、各郵便局では、昭和四六年から五〇年頃までにかけては、目標額の一三〇パーセント以上を達成するため、外務担当局員の個人ごとの目標額を設定したり、個人ごとの成績表を公表したり成績優秀者を表彰したりするほか、外務担当局員を集めて自主研修会を開催し、保険募集のための体験談、話法の研究などを徹底させていた。

このような方法によつて競争心を駆り立てられながら貯金・保険募集業務に従事する外務担当局員らは、貯金・保険の募集の成績を上げるために有利なことならば何でもするといつた状態に置かれていた。

(2)  中国郵政局は、保険・貯金募集を推進するため、管内を一七ブロック(特推連会と称している)に分け、相互に競争させるシステムを作り上げている。(この点については、当事者間に争いがない。)

八雲郵便局の所属する雲隠会の中国郵政局内での成績は、昭和五二奨励年度(各奨励年度は前年の九月一日から当年の八月三一日まで)では昭和五一年一二月三一日現在で最下位の一七位である。もつとも、山陰の各会は、ほとんど下位に集中しているが、同郵便局の雲隠会内での成績は、六二局中の一三位である。(雲隠会、八雲郵便局の右成績については、当事者間に争いがない。)

(3)  八雲郵便局における貯金・保険の募集・集金業務の外務担当局員は二名であるが、同郵便局管内の八雲村の村落は数戸ごとにかなり広範囲にわたつているため、募集にあたり戸別訪問する際の移動距離はかなり大きなものとなる。又訪問時間は農作業時間を避けて早朝或は晩方となるため外務担当局員の勤務時間は相当長時間なものとならざるを得ないことになる。

(二)  樹佑の本件旅行参加前の業務状況と健康状態

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、以下の認定に反する証拠はない。

(1)  樹佑は、昭和三年一一月二九日生れで、昭和三八年七月から八雲郵便局に勤務し外務担当局員として郵便集配業務と貯金・保険募集業務とを交互に担当していたが、昭和四九年九月からは貯金・保険外務担当局員として勤務し、担当地区(八雲村)を巡回して郵便貯金、簡易保険の募集・集金業務を行つていた。(樹佑が貯金・保険外務担当局員として勤務し、担当地区を巡回して郵便貯金、簡易保険の募集・集金業務を行つていたことは、当事者間に争いがない。)

(2)  樹佑は、心臓病の持病もなく血圧も正常で、元来健康な身体を有していた。

樹佑は、面倒見の良い真面目な性格で、早朝から夜まで広範囲にわたつて募集業務に走り廻ることもあるほどの仕事熱心でもあり、これまで優績賞を三回も受賞するほどであつた。(樹佑が面倒見の良い真面目な性格で数回の優績賞を受賞したことは、当事者間に争いがない。)しかし、割り当てられた保険募集額を達成することは、樹佑にとつて精神的にも肉体的にもかなりの負担となり、保険募集業務を始めると、神経性の胃痛に悩まされるようなこともあつた。又、樹佑は、昭和四九年の全逓祭で二、〇〇〇メートル競争に出場したところ、どういうわけか、やつと完走する有様であつた。

(3)  樹佑は、昭和五〇年一月一六日、勤務中にその運転していた単車が転倒し、左鎖骨骨折の傷害を受け、同年四月一六日まで入院治療し、その後五月中旬まで自宅療養を続けた。

樹佑は、五月中旬から外務担当局員として八雲郵便局で業務を開始したが、療養後であること、例年一三〇パーセントの自主目標額達成時期が五、六月におかれているため、募集業務が一段落ついていたこと、樹佑の欠勤期間中に保険外務担当者が一人増員されていたことなどから、入院以前のように早朝から夜遅くまで募集のために奔走することはしていなかつた。(以上(3)の事実は、当事者間に争いがない。)樹佑は、入院前ほどの生気がなく、体調もあまりすぐれず、毎週通院治療を続けていた。

(三)  樹佑の本件旅行参加行為の性質

(1)  本件旅行会の性格

(イ) 本件旅行会は、簡易生命保険に加入した会員の保険料の払込について団体取扱の認められた団体である。

すなわち、簡易生命保険約款(以下単に約款という。)五三条、五四条によれば、事業所またはその他の団体に属する者が、一五個以上の基本契約の申込みをしようとする場合において、各基本契約を一団として保険料の併合払込をするものにあつては、保険料の払込について団体取扱の請求ができ(五三条一項)、団体取扱を受ける場合の特典として保険料の百分の七(団体代表者に対する取扱手数料を含む。)の割引を受けられるとされている(五四条二項)が、右の取扱を受けるためには、団体の保険料を代表者において取りまとめて払い込むことが要件となつている(同条一項)。約款の建前は、団体がすでに存在し、その団体において保険料を徴集して払い込むならば保険料の割引をするというものである。約款では、割引かれた金額の使途については何ら触れていない。

右(イ)の事実は、当事者間に争いがない。

(ロ) 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、以下の認定に反する証拠はない。

郵政省は、右団体取扱制度を保険勧誘の手段として本来の建前以上に積極的に利用することを指導し、奨励している。すなわち、郵政省は、簡易保険加入者を短期間に大量に効率的に募集するための方法として、各種団体を組成する方法を考案し実施している。これらの保険料払込団体としては、旅行会のほか人間ドックの会、健康保持の会、災害見舞の会、長寿の会、ビューティー友の会、進学育英会、灯油の会等種種のものがあり、いずれも団体取扱による割引額の積立のほか、保険金の満期返還分を借り受けるなどして、それぞれの会の趣旨に従つて費消していく(旅行会であれば旅行費用にあてる。)というものである。

(2)  本件旅行会の設立とその事務

〈証拠〉によれば以下の事実が認められ、〈る〉。

(イ) この種の旅行会は、右にみたように約款上は郵便局とは別個の任意団体として組織されることになるが、実際上は郵便局が旅行会設立の計画及びその内容(旅行計画の概要を含む)を一般に示して旅行会員(保険加入者)の募集を行い、予定された会員数(契約)に達すると、当該旅行会の設立総会の膳立て等発起人的役割まで果たし、これによつて旅行会の設立総会が開催されて正式に発足することになる。

本件旅行会は、このような保険料払込団体の一つとして昭和四八年九、一〇月の期間に一〇年満期、保険金六〇万円以上の契約を対象として募集が行われ、その間一〇一名の加入者があり、同年一二月九日会員七〇名の出席により設立総会が開かれ、会則案承認、会長、副会長、理事の選出、旅行計画の概要その他について議決がなされ旅行団体として成立した。

(ロ) このようにして組織された旅行会については、昭和五〇年頃まではその事務局が当該郵便局内に置かれ、事務局長に郵便局長、事務局員に保険担当局員が就任し、旅行会の日常の事務を処理していた。

しかし、被告としては、旅行会は約款上は郵便局とは組織上別個の団体であり、その事務は本来会の事務であることから、昭和四四年「郵便局の部外団体旅行への参加について」の通達を始めとして、その後度々回を重ね「旅行に関する事務は国の事務でないこと」、「会員以外の職員の旅行参加は適当でないこと」、「職員の旅行参加は年次休暇を利用して行うこと」などのほか、「旅行会等の事務局は止むを得ない場合のほか局舎外に設置させること」などを定め指導してきた。しかし、旅行会の事務能力が十分でなく、そのため、右のような通達にもかかわらず、旅行会の日常の事務は郵便局の職員によつて処理されていた。

本件旅行会についても、事務局が八雲郵便局内に置かれ、事務局長に同郵便局長岩田幸美が、事務局員に保険担当局員が就任し、(事務局が同郵便局内に置かれ、事務局長に同局長が就任していたことは、当事者間に争いがない。)旅行会積立金(郵便貯金の形で)の保管、加入者保険証書の預り等の事務は郵便局長、保険担当局員らによつて行われていた。もつとも、昭和五二年四月からは、事務局を郵便局長の自宅に、事務局長を同郵便局長の妻にかえ、関係書類も郵便局長宅に移されている。

(3)  本件旅行参加の性質

〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、以下の認定に反する証拠はない。

(イ) 保険担当局員の旅行参加は、局員自らが当該旅行会の会員である場合は会員として参加することは当然であり、会員でない郵便局員の参加については被告としては前記のとおり通達により原則的には参加させないように配慮していた。しかし、実際にはこれら局員は、一般に当該旅行会の加入者を募集した担当者であり、その立場から共に旅行することによつて加入者との親近間を深め、これにより新しい加入者を得ること、自らの募集した旅行会の旅行の実態を体験することにより今後の募集事務の参考にするなど多くの利点も認められることなどから、少くとも昭和五〇年以前には出勤扱いで参加を認めたりする郵便局もみられるなど右通達が必ずしも徹底された形で運用されているとはいいきれないものが残つた。

(ロ) 八雲郵便局では、旅行会保険募集額は、昭和四六奨励年度では目標額の約五〇パーセント、昭和四七同年度では約五三パーセント、昭和四九同年度では約五七パーセントを占め、旅行会による募集が重視されていた。

八雲郵便局管内の八雲村は農村地帯であるため、村民は自ら旅行に出ることが少なく、保険に対しての興味はなくても、組織し計画された旅行が村民の願いを満たすことになり、本件旅行会による旅行は、観光地を見て廻るというだけでなく村の寄合の延長としての面をもち、又、参加者の平均年齢が四〇歳以上であることなどから、ある程度親身になつて世話をする者が必要であつた。

又、会員は、外務担当局員の勧誘で本件旅行会に入会したのであるから、局員も旅行に参加し会員の世話をするのが当然であるという意識を持ち、一方、局員の方でも自分で勧めたのだから随行して会員の世話をしなければならないという意識を持つことになり、昭和五〇年以前においては局員の随行が常態化しており、随行する以上旅行の世話役として働かざるを得ない状態におかれていた。

もつとも、本件旅行は、旅行業者である日本旅行が委託を受け、正規の添乗員一名が同行し、旅行現場における用務を担当することになつていたが、旅行会社の職員が添乗したのは本件旅行が初めてのことであつた。

(四)  樹佑の本件旅行参加の経緯

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、〈る〉。

樹佑は、昭和五〇年五月末頃、八雲郵便局岩田局長から本件旅行に随行するように勧められたが、前記のとおり療養後の身体でもあるし、本件旅行会の会員でもなく、旅費まで負担して随行することもないことを理由に、これを断わつた。しかし、その後同郵便局員の中から随行する予定になつていた山崎、安達、引野の三名のうち安達、引野両名が参加できないことになつたため、同局長は、本件旅行について郵便局員の随行が必要であるとの考えから同年六月二日頃、再度、樹佑に対し旅費の負担をしなくてもよいからといつて随行を強く要請した。そこで、樹佑は、保険担当局員がこの種の旅行に随行することが常態であり、又、随行して会員に顔を広めておくことも後の保険勧誘にとつて有利にもなるとの認識も手伝つてこれを承諾し、急遽本件旅行に随行することにした。(本件旅行に当初予定していた安達、引野の両局員が随行をとりやめたため、樹佑が随行することになつた点については、当事者間に争いがない。)結局、本件旅行には、郵便局員としては、樹佑と本件旅行会々員でもあつた前記山崎のほか、局長から随行を要請された前田の三名が随行することになつた。

樹佑、山崎、前田は、本件旅行に随行するについて年次休暇届を提出した。

樹佑と前田は本件旅行費用を負担しなくてもよいという便宜を与えられた。

(五)  樹佑の本件旅行中の行動

〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(1)  本件旅行は、昭和五〇年六月五日夜八雲郵便局前を出発して、鹿児島、宮崎、別府などを巡り、同月九日早朝帰着するというもので、四泊五日のうち二泊は車中泊というかなり強行な日程で実施され、会員中六二名が参加したほか、八雲郵便局からは樹佑、山崎、前田、旅行会社からは添乗員一名が随行した。

(2)  本件旅行に随行するに先立ち、樹佑は、前記山崎、前田と共に、本件旅行の委託を受けていた前記旅行会社から予め入手しておいたバス割表、寝台車割表、旅館の部屋割表をもとに、バス、寝台車、部屋の割り振りを協議して決めた。

樹佑は、前記二名と共に出発に先立ち、当日の五日午後八時三〇分頃、八雲郵便局長宅を訪ね挨拶をした。

(3)  同日午後九時三〇分頃、本件旅行会の一行は八雲郵便局前をバス二台に分乗して、出発し、国鉄松江駅から午後一〇時一八分発の博多行寝台急行列車に乗車したが、その際、樹佑が中心となつてバス、列車の乗員数の確認をしたり、座席まで会員を誘導したりした。

翌六日午前七時三六分頃、一行は国鉄博多駅に着き、午前八時博多発の特急列車に乗り、午後〇時五三分西鹿児島駅に着き、直ちにバス二台に分乗し、雨のため当初予定していた開聞岳、長崎鼻の観光を中止して城山、磯公園、指宿スカイライン、池田湖を観光して午後六時頃指宿観光ホテルに到着した。この間、樹佑は、中心となつて、列車、バス乗り換え時の人数の確認、座席への誘導、車中での朝食、昼食の世話、旅行会社の添乗員との連絡、旅館の部屋割り等に従事した。

同日午後七時頃、ホテル内で会員の神庭トミエが安静時狭心症の初めての発作をおこし、午後七時三〇分頃再び同女が発作で倒れた。樹佑は、同女が樹佑の勧誘で入会したこともあつて、フロントを通じて医者の手配をしたり、午後一〇時頃まで同女を看病し、その間、時々疲れた様子で同室のベットに横たわつたりしていた。

同日夜、樹佑は、ホテルから電話で、岩田局長に対し本件旅行の一日の経過を報告した。

翌七日午前八時頃、一行は指宿観光ホテルをバス二台で出発し、鹿児島、桜島などを観光した後、霧島神宮で昼食をとり、午後はえびの高原、小林などを観光して午後五時三〇分頃宮崎観光ホテルに到着した。樹佑は、かなりの疲労のため会員の登つていつた神社の石段の下で待つたり、会員が観光のために下車したバスの中に残つたりして休んでいた。

同日午後七時頃から、一行は最後の宿泊であることから懇親会を催した。樹佑は、元来酒を飲まない方なので、この席でもあまり飲むことをしなかつたが、宴会の幹事役として、歌を歌つたり、ビールなどをついでまわつたりした。宴会も終つた午後九時頃から、樹佑と山崎は、会員達の部屋を挨拶して廻つた後、岩田局長に一日の経過を報告した。午後一〇時頃樹佑と山崎は、ホテル地階のバーで飲酒したり、歌を歌つたり、ダンスに興じたりした。午後一一時頃、樹佑、山崎、前田らは、本件旅行会の小松会長夫妻を自室に迎えて飲酒しながら歓談した。午後一二時頃、小松会長夫妻が帰つた後も、樹佑らは引き続き飲酒歓談を続けていた。翌九日午前一時頃、樹佑が急に苦しみ出し、布団にもたれ、呼吸を苦しそうに続け、顔色も紫色の状態に変つた。樹佑は、このような状態の中を、救急車で午前一時三〇分頃病院に運ばれ直ちに医師の診察を受けたが、その時には既に死亡していた。

(4)  本件旅行には、前記のとおり委託を受けた旅行会社から一名の添乗員が随行していたが、会員(村民)とはこれまで接触がないため、旅行に不慣れな会員達から頼りにされるのは、結局随行の郵便局員達であつた。郵便局員として、樹佑のほか前記山崎、前田の二名が同行していたが、樹佑が最年長であり、面倒見の良い性格も手伝つて、他の二名以上に会員達の世話をする結果となつた。

(六)  樹佑の死亡と公務との相当因果関係

(1)  樹佑の死因

〈証拠〉によれば、樹佑の死因は急性心臓死であつたこと、急性心臓死は心臓に器質的基礎疾患がなくても極度の疲労等により心臓機能に限度を超えた負荷が生じた場合に発生することが認められる。

これを本件についてみると、先に認定した事実によれば、樹佑は心臓に基礎疾患がないこと、昭和四九年九月からかなりの精神的肉体的負担を伴う保険募集業務の外勤として仕事を続けてきたこと、樹佑は昭和五〇年一月一六日勤務中に単車の転倒事故により三か月間の入院治療、一か月間の自宅療養後、同年五月中旬から職場に復帰したものの、なお通院治療を続けていたこと、このような状態のもとで、樹佑は同年六月五日夜からかなりの強行日程の本件旅行に随行し、鹿児島、宮崎などを巡り、この間、中心となつてバス、列車内での乗員数の確認、座席の指定・誘導、車中での食事の世話、病人の看護、懇親会での幹事役等を行つたこと、これにより樹佑の心身に課せられた疲労が七日夜にはその極に達していたことが認められる。右に認定したほかに、樹佑に疲労をもたらすような原因を認めることはできない。してみれば、樹佑の急性心臓死の原因としては同人の随行した本件旅行中に生じた心身の過労状態が重要因子になつたものと認めざるを得ない。

(2)  樹佑の随行した本件旅行の公務遂行性

判旨公務上の死亡は公務遂行に起因することを要するものであるから、樹佑の随行した本件旅行中の行動が公務の遂行にあたるか否か検討する。

先に認定した事実によれば、この種の旅行会が約款上は郵便局とは別個独立の団体であることは明らかであるが、実質上は郵便局によつて保険募集業務の一方法として組織されるものであつて、本件旅行会も昭和四八年一二月に同様にして組織されたものであること、このようにして組織された旅行会は自主性がとぼしく、昭和五〇年当時には事務局が当該郵便局内に置かれ、事務局長に当該郵便局長、事務局員に保険担当局員が就任し、これらの局員によつて日常事務が処理されており、本件旅行会についても昭和五〇年当時には事務局が八雲郵便局内におかれ、事務局長に八雲郵便局長岩田幸美、事務局員に保険担当局員が就任し、同局員らによつて旅行積立金の保管、加入者保険証書の預り等の日常事務が処理されていたこと、本件旅行のような団体旅行はこの種旅行会の本来の目的であつて、保険担当局員による旅行随行は保険募集業務を円滑に遂行する上で利点をもち、会員の側では局員が旅行に随行して世話をするのが当然であるという意識をもち、局員の側でも旅行に随行して世話をしなければならないという意識があつたこと、昭和五〇年以前においてはこの種の旅行について局員の随行が常態化していたことが認められる。したがつて、実際上は、昭和五〇年当時においては、八雲郵便局の保険募集業務と本件旅行の随行を含む本件旅行会の事務との区別があいまいなままの状態で同郵便局員らによつて処理されるという運用がなされていたものとみることができる。

しかも、樹佑の本件旅行への随行は、同人が一たんこれを断わつたにもかかわらず八雲郵便局岩田局長から再度随行を強く要請されたことによるものであつて、又、旅行先の樹佑から岩田局長に対し毎日旅行経過の報告が行われていたことからみると、岩田局長の樹佑に対する本件旅行の随行要請は、正式に業務命令であると明示されたものでないとはいえ特別の業務命令と同視しうる実質をもつていたものと理解できる。もつとも、樹佑による本件旅行の随行について年次休暇扱いがなされているが、これは前記通達との抵触をさけるためにとられた形式上の措置であつて、このことによつて右要請が業務命令の実質をもつことを直ちに否定することになるとは考えられない。

このようにみると、樹佑の本件旅行への随行は保険募集業務に附随するものとみうるのであり、旅行会による被告の保険募集業務を円滑に実行するために直接的、具体的に関連する行為であると認められ、しかも、前記特別の業務命令に基づくものである。そして、樹佑が本件旅行先で会員に対して行つた世話も、随行の過程のうちで保険募集業務を円滑に遂行するという目的に向けられたサービス的延長として必然的に伴う行動というを妨げない。もつとも、前記業務命令の内容は、樹佑を本件旅行に随行させるという一般的概括的なものであるが、樹佑の本件旅行先での行動が随行に必然的に伴い、しかも保険募集業務の円滑な遂行という目的に向けられたものとみうるものである以上、旅行先の個々の行動に対する具体的命令がなくとも、それが業務命令に基づかないものとみることはできない。したがつて、樹佑による本件旅行の随行はもとよりのこと、旅行先での会員に対する世話も、前記業務命令と相まつて業務遂行性を有するものとみることができる。

被告が「会員外の旅行参加は適当でないこと」、「職員の旅行参加は年次休暇を利用して行うこと」等の通達を出していることは前記認定のとおりであるが、旅行随行が保険募集業務に前記のような利点をもつこともあつて、昭和五〇年当時においては右通達が必ずしも徹底された形で運用されていたとはいえなかつた。しかも、樹佑の本件旅行随行に対する八雲郵便局長の業務命令が右通達に違反するものであつたとしても、樹佑の上司である岩田局長が保険募集業務に附随する本件旅行の随行について業務命令を出しうることにかわりはないから、右通達違反の点は、被告の業務運営の必要上その内部関係における処理の問題を残すにとどまり、樹佑に対する関係で業務命令の効力を否定することはできないものというべきである。したがつて、右のような通達の存在及び業務命令の通達違反ということをもつてしても、樹佑の本件旅行随行行為の業務遂行性認定の妨げとはならない。

(3)  樹佑の死亡の公務起因性

公務上の死亡は、公務遂行に起因することを要するが、死亡原因が公務遂行と他の原因との競合によるものと認められる場合でも公務の遂行が相対的に有力的な原因であれば死亡は公務遂行に起因するものと認められる。

してみれば、樹佑の死亡の原因は急性心臓死であつて、急性心臓死の原因として本件旅行中における心身の過労状態が重要因子であると認められ、しかも、本件旅行中の行動に公務遂行性が認められるものであるから、樹佑の死亡は公務遂行に起因するものというべきである。

三結論

原告が樹佑の妻であり、その相続人であることは、当事者間に争いがない。

原告は、配偶者林樹佑が昭和五〇年六月八日公務上死亡したことにより国家公務員災害補償法に基づく遺族補償年金を受ける権利を有するものであるところ、これを争う被告に対し、年金の支払を求める基本となる右権利そのものにつき即時確定の利益があるというべきである。

よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(福永政彦 鳥越健治 片岡勝行)

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